omelette.

On ne fait pas d`omelette sans casser des œufs.

angel

忘れたくないけど忘れるための

 

 

久々の記事になります。

久々に文字に書き残そうと思う程の出来事があった為、ここに記しておきます。

少し悲しいお話になることを許してください。

 

先日、母が天使になりました。

一般的にはまだまだ早過ぎると言われる、51歳で母は天使になりました。

 

母の宝物は、娘の私です。

自分で言うのもなんですが、本当に他に表しようがない程に私のことが大好きでした。

 

母に会ったことのある人、誰もが強烈な人だと言うのでそうなのだと思いますが

娘の目から見てもこれまであんなに強烈な人にはあったことがありません。

 

美的センスに長け、繊細かつ大胆。

その代わりに人との関わり方は少し不器用なところがありました。

少しと思っているのは、多分私だけです。

それでも、母を凄い人だと思っているのはきっと私だけではないと思っています。

 

 

 

最後は一緒に暮らすことができなかったけれど、

その前の4年くらいは二人暮らしで母娘の濃い時間を過ごすことができました。

 

厳しい母との生活は喧嘩も多くて、毎日何かと怒られているようなイメージでしたが

昨日必死の思いで復旧させたクラウドに残された画像には満面の笑みの母や

本当に楽しそうな二人の写真ばかりで、これにはかなり助けられています。

なんだ結構楽しくやれてたじゃん。いい思い出沢山あったね、と。

 

 

最後の方には会いにいくたびに本当に嬉しそうで

斜視になり始めた目で一生懸命に私の顔を見ている姿が鮮明に思い出されます。

 

母と向かい合って寝転んでおしゃべりをした最後のお泊まり。

私の顔を確かめるように両手で優しく撫でてくれたのが忘れられません。

 

 

急変したと呼ばれて行ったときには本当に想像もしていない姿で

確かに弱っていたとはいえ数日であんなに人は変わってしまうのかと

とてもとても悲しかったです。

 

意識があるのかないのか、とにかくそこには会話なんてないような状態で

それでも母は24時間頑張って私に想いを伝える時間をくれました。

 

死ぬのが怖かったのではないか

最後に意識を失った時に寂しい気持ちにならなかったか

私の声が届いたのか

ずっとそばにいたこと知ってくれているか

 

それらは全て、もう分からないこと。

 

悲しさと苦しさと寂しさと、どれにも当てはまらない痛みが

胸を圧迫するようなこの感情。

時間が解決するというけれど、この気持ちを忘れていくのも怖い。

 

母を看取って感じることは何も特別なことではなく

やってあげたかったこと、あの時の選択、

一つ一つの後悔に自分なりの折り合いをつけいていくような毎日です。

もうこれは母のためではなく自分のために必要な段階の1つなのだと思っています。

 

そして感謝。

幸いにも私には恋人がいてくれて、最後の瞬間を迎えるために

そしてその後も何から何まで支え続けてくれています。

これがどんなに心強く、母を1番に考えてあげることのできた

大きな理由になったか伝えても伝えきれない気持ちです。ありがとう。

 

最後に母が暮らした場所には、私のやってあげられなかったことを

たくさん母に与えてくださった方が居たのも本当に救われる思いでした。

 

母の人生に関わってくれた全ての皆様、本当に有難うございます。

 

 

当たり前の言葉しか出てきません。

愛する人がいるならば惜しまず時間や言葉、目一杯の愛情をかけてあげてください。

何かがおかしいと思ったら病院に連れて行く。引きずってでも連れて行く。

結果的にそれは自分のためなのです。でもそれでいいのだと思います。

 

私は母の思い出が悲しみでいっぱいになってしまわないように

もう後悔するのはやめにするけど、これから同じ失敗をしないように

胸に刻みました。これが最後のごめんなさいにするね。本当にごめんなさい。

 

 

ママちゃん。大好きだよ。

大好きでいてくれてありがとう。

最後まで一生懸命に生きて本当に本当に可愛いかった。

最後は美しいお顔だったから安心してね。

たくさん頑張ってくれてありがとう。

 

あとは素敵な天使ちゃんになっていることを祈ってるよ。

 

またネ!